7/30京都精華大学対談れぽ
7/30 京都精華大学にて開催された竹宮惠子×仲谷鳰対談 「マンガにおける恋愛の描き方-性の表現」の対談れぽです。
ほぼ自分用メモの清書。
一部思い込みなどによる誤情報が入っている可能性があります。
※これは8/8に自身のぷらいべったーに投稿したものを修正したものです。
***
Q=司会者
T=竹宮先生
N=仲谷先生
Q:影響を受けた作品を事前に四ジャンルあげていただいています。本日はそのうちから二つお話しください。
T:(スクリーンには、映画「戦争と平和」「「2001年宇宙の旅」「時計じかけのオレンジ」「野いちご」/小説「高慢と偏見」/漫画「西遊記」/詩「リルケ」「コクトー」「寺山修二」)
映画には、抽象的なものとそうでないものの落差がある。それを生かすための技法というか、表現を吸収できるのがいい映画。
小説は、言葉で表現するもの。漫画も言葉で表現する。
漫画の言葉は、フキダシの中に収められるものでなければならない。モノローグも、できるだけ短くしなければならない。
高慢と偏見のように、オーソドックスな、真っすぐそのまま伝わる言葉が良い。つい奇をてらうようなものに行きがちだが、ちゃんと説明できないとならない。
N:(スクリーンには、ゲーム「ドラゴンクエストシリーズ」「UNNDERTALE」/小説「星新一 ショートショート」/アニメ・漫画「攻殻機動隊」/バレエ「マシューボーン演出 白鳥の湖」)
ドラゴンクエストは、攻略本を読んでいた。ゲームの中では語られないけれどある設定がおもしろいと思った。漫画を読むようになったきっかけでもある。ドラゴンクエスト四コマ劇場を単行本買っている。
星新一のショートショートは、教科書に載っているものから知って、短編集を読んだ。
ショートショートというかたちなので、必要最低限にそぎ落とされている。短い中で、こういう伏線から、こういうオチになると考えながら読んでいた。
小さいころからお話をつくることを意識していた。その勉強にしていた。
また、短編集の中にはショートショートよりも長い、普通の短編くらいの長さのものもある。最低限のショートショートに、どのように肉付けしていくかを参考にした。
T:ゲームは少し触ってやめてしまった。時間がとてもかかるので。
ゲームは一方的に受け取るだけだと思って避けていた。少し触っただけなので、攻略本の存在なども知らなかった。(仲谷先生のように)新しい世代にとってはゲームは親しいもの。そこから何かを見つけ出せる。
Q:考えを表現に落とし込むのは?
T:かくということは、読むということをしないとかけない。さっきNも(星新一のショートショートなど)研究的に読んでいた。
自分の中にある証言したいものを「分かって」そのうえで誤差の無いように造形すること。それが作品の世界を作る。読み切りなどは、世界の一部を切り取っている。すべてを説明しきってしまわない。
「説明しているな」と読者が思うと醒める。読者がそれをくみ取ってくれるように考えながら描いている。
N:作者は説明したくなるが、説明すると(作者はやりやすいが)キャラクターが世界の説明をするのはおかしなこと。「誰に向かって話してるの?」ってなる。
キャラクターには、話させすぎない。作品を描いているうえで飛ばした部分を意識する。「誰をカメラに移すか」「誰が何を話しているか」を選択することによtって、作者の考えを伝えたい・
T:登場人物が多いと便利。主人公には(キャラクターの性格上)言えないセリフがある。
N:伝えたいけど、「こいつは言わない」ってときに使える。
T:迎合されるように書くのは楽。だけど迎合されるようにやってしまうと……読者を甘えさせてしまう? 自分が伝えたい大事な部分、軸は守る。今言えなかったら、言える「次の機会」を待つ。
N:一番言いたいとこを、全部言わない。
T:気づきをもたらすことが大事。
Q:なぜ漫画という媒体を選んだのか。
T:自分が若いとき、漫画は社会に認められていなかった。漫画は主食ではなく、おやつだと思われていた時代だった。そこの(おやつから主食になる)広がりに可能性を見出した。
自分の手元の、小さな世界を育てていく感覚があった。
N:漫画は主食である時代に生まれた。
小さなころに絵をほめられ、その延長として(違和感を覚えることなく)漫画家になった、
自分ひとりで作ることができるもの(アシスタントさんなどはもちろん居るが)自分でネームをかいて、コマを割って、これが描きたいからこういう話を描こう、またその逆に、こういう話が描きたいからこれを描こう、ができるから。
Q:なぜBL/GLなのか
T:(先生が話されている間のスライドには、風と木の詩の一部抜粋。スライドの初めにキーワードとして「時代背景」「少年同士の恋愛」「19世紀末フランス」の文字)
(時代背景について)時代の機運があった。年齢差、精査を超えた愛について考えられ始めた時代だった。
しかし少女漫画の世界は旧態依然のもの。女の子は恋をするもの。そこで『ジャブじゃだめだ。右アッパーをくらわせないと』と思った。
(少年同士の恋愛について)当時の少女漫画読者には、男女のベッドs-ンは生々しく、直視しづらいものだった。ベッドの上で手をつなぐことだけで、セックスシーンの暗喩になるなど。
だからこそ、少年同士はフェイクとして、少年同士だからこそ、見ることができるものになるだろうという思いがあった(少年同士の恋愛には、自分たちのことに重ならない。自分たちのことではないから)
社会の動きの即するのが、漫画家の役目だと思っている。
編集者の常識が、一番超えるべき壁だった。彼らは少女を聖域のように扱っていて「少女は少女らしく」とオジサンのイメージの押し付けがあった。それとの戦いだった。
(19世紀末のフランスについて)その時代を選んだ理由は、少年愛を展開できる時代を探した。
そうすると、一つ前の世紀末がそんなじだいだった。社交界でもオープンに少年愛があった。
人間愛の話をかいているので、産業革命前(あまり機構が発達しすぎていると雑味がでる)かつ、宗教による縛りが少しづつ破られる時代。
大戦前に終わるように逆算して時代を決定し、話を進めていった。
N:(先生が話されている間のスライドには、やがて君になるの一部抜粋。スライドの初めにキーワードとして「(写し損ないにより内容不明)」「(同写し損ないにより内容不明)」「GLのど真ん中」の文字)
あまり恋愛が得意ではなかった。恋愛をして、当然のようにその恋愛を中心にして展開する、そんな恋愛至上主義の物語に対して違和感があった。
その中で、受け入れられる物語がBL/GLだった。恋愛としてストンとする前に、「これは友情か? 恋情か?}と一ステップを踏む。前提が恋愛なのではなく、あえて「これは恋愛である」と恋愛を選ぶ考え。
(GLのど真ん中について)登場人物が恋愛を選ぶかどうかを選択する、というのがGLのど真ん中であり、それを告げるのがGL。
T:私が描いていた時代は、(同性同士の恋愛について)差別があることが前提だったが、(仲谷先生は)差別のない世界を描いている。それは、今の時代、今の世界を描いていること。
Q:恋愛の描き方
T:(キーワードとして、スライドに「女性の性の解放」「BL史での位置づけ」「竹宮先生にとってGLとは」の文字)
(女性の性の解放について)女性なのにそういうこと(性について)を言うのか? という自主規制があった。そこで「男ではない、少年」であれば、垣根を感じずに同調できるのではないか。と考えた。
少女読者に(比較的)ハードな性愛を受け入れやすくした。
(BL史での位置づけについて)風と木の詩はBLじゃないよね? と言われることもある。自分としては、今につながるはじまりを描いた自負がある。当時はショッキングなものとして扱われたが、それがここまで大きくなった。読者にとって、大事なものだったんだと思う。その最初の殻を割ったことがうれしい。
(GLとは、について)当時は、BLもGLも全く同じ価値だった。今も変わっていない。
(仲谷先生のGLについて)現代における、ありうるGLを丁寧に描きうつしているものという印象。
N:(キーワードとして「タブー意識とホモフォビア」「GL史での位置づけ」「仲谷先生にとってのGLとは」の文字)
(タブー意識とホモフォビアについて)(「作品中では、同性愛に対してのタブー意識はないように見えるが、どうか」と司会者)
現代の現実を描いているので、ホモフォビア、同性愛に対して嫌悪している人は一定数居るが、あえてそれは(画面に)写さないようにしている。
(GL史での位置づけについて)自分の作品は、王道と言われることもあり、特殊と言われることもある。自分としては、両方その通りだと思う。
「タブー」「秘密」の要素は、魅力である。
けれど、(この関係はイケナイことだから秘密にしなくちゃ、などは)作品としては楽しいが、現実ではあってほしくない。
なので、同性愛に対するタブー意識とは別の「禁止」の要素をいれた。例えば、やがて君になる、の中では、小糸さんの会長への愛などがそれにあたる。
王道を踏まえて、そういう新しいことをしている。
百合の文脈じゃない楽しみ方もありがたい。いや、百合は百合なんですがね。
(BLとは、について)BLだからどう、というのは無い。BL,GLはどちらも同じ。ただ、BLは作品数が多く、専門誌も多く、その分設定が凝っていて、うらやましいなと思うことはある。
Q:高校生の皆さんへメッセージ(京都精華大学オープンキャンパス内でのイベントの一部なので、受験生に向けたメッセージ)
T:大学で学ぶということについて
自分の技術について客観性の得られる機会。漫画家志望は引きこもりが多いので、自信過剰だったり、その逆になったりしがち。おなじ立場の人間がいることで、違う自負が生まれる。
どういうものをもって、社会生活をしていけばいいのか分かる。
N:私は(マンガ学部などではなく)人文学部の卒業生だが、やはり自分で作り出すうえで、「言語学」「ジェンダー論」「映画論」などの授業が役にたったし、モノの調べ方を学んだ。
漫画を描いていると、レポートを書いている気分になる。世の中の要素の中から、伝えたいものを切り取って伝えるので、実質レポートである。
T:院生の人で、レポートが書けないっていう人がいるが、漫画と同じ。制作でこれまで書いてきてるでしょって
N:ですよね。ほんとうにレポート書いてる。
~~質疑応答~~
(質問のいくつかは省略しています)
Q:(仲谷先生へ)なぜ人文学部を志望したのですか
N:入試日程の都合などもあったが、作画よりも間接的なものを学ぼうとした。机に向かう勉強をしておかないと、後からそういうものをする機会はないと思った。
Q:連載では、どの段階でどのように構成しているか
T:世界全体を描くのにどれくらいかかるか、を考えている。どこまでを説明すれば「次」を期待されるのか。そう考えて一作を毎回作っていく。すべて描き切ってしまえば終わりなので。
N:連載一作目なので語るのは難しいが、「エンディング」が決めてあって、その前にこう変化して、こう変化して、という「ポイント」を設定してある。
また担当者から言われて、単行本一本で大きな山場が越えるような構成にしてある。
それとは別に、一話一話読み切りで読めるように書いている。
Q:BL.GLでなにか読んで面白かった、おすすめはありますか
T:この対談のために何作か読んだ。GLかはわからないけれど「まんがの作り方」は面白かった。
N:BLは最近ぱっと思いつかないけれど、GLだと「たとえ届かぬ糸だとしても」「あの娘にキスと白百合を」
T:GLっていうのかわからないわよね
N:どれを百合にするか、今の(あげた二作品)も、百合っていうかは論争が起きるかと思います。
T:あと「推しが武道館いってくれたら死ぬ」も面白かった。
N:平尾アウリ先生ですね、面白いですよね。これもGLっていうより、平尾先生の作品って感じですけど。
Q:キャラクターが勝手に動き出すことはありますか。
T:勝手に動くことが当たり前というか、キャラクターに聞きながら作っている。彼らが勝手に動く中で、(自分の写したいものを)切り取って描いている
N:勝手に動き出すことはない。逆に、話の都合上「こう動いてほしい」があるのに、キャラクターに聞いてみたら、動きたくない、と動いてくれないことがあって、そういう「動いてくれなくて困る」がある。
Q:魅力的な敵役をつくるコツはありますか。
T:作品として悪いものにはしたくないので、敵役にも生活があることを、世界として用意する。
(敵役は)主人公とかかわろうとする人間なので。主人公を好きでなかったら、関わろうとしない。だから場面が違ったら、彼らが助けてくれるような展開があるかもしれない。
Q:(風と木の詩、やがて君になる、の)企画について、どのようにアピールして連載が決まりましたか。
T:強引に推した。
当時編集者は少女漫画の柱となる作家の役目を(自分に)求めていたが、横道にそれた。自分の描きたいものを描いて一番でなければ意味がない。
N:ネットで書いていたら、今の編集さんに声をかけてもらった。
T:時代が違うのを感じる。
N:竹宮先生たちが切り開いてくれたおかげです。
Q:恋愛を描く機微、表現するコツは?
N:使えるものは全部使う。たとえば(スライドには、二巻の飛び石のシーン)ここでは、飛び石を使って距離を表現したり、光を浴びてるキャラクターと、影に入ってるキャラクターなど、対比したり。とにかく、毎度使えるものは全部使ってます。
T:嵐、崖、自然などで暗喩をよくしてきた。(仲谷先生のは)現代だから、そう簡単にファンタジー要素使えなくて大変そう。
「恋愛って戦いじゃないですか」個性の戦い。
通じ合わないのが大事。
N:通じ合ったら(お話は)そこで終わりですもんね。
T:雑誌の企画で、ドラえもんの「ウラオモテックス」という道具を使ったらどうなるか、みたいなギャグを描いたことがある。
事件が起こる前にみんな気持ちがわかっちゃって「お話にならないよ!」」というオチ。
越えられない壁が相手にあるんだ、それが大事。
あの子は髪を切ってしまった
夜は短し関連のあれこれ-2
映画版に関してはかなり色々言いましたが、絵柄は好きでですね……。コースター目当てに行ってきました。
BAR ムーンウォーク百万遍店
http://barmoonwalk.jp/sp/店舗情報/京都エリア/百万遍西店/
ありがとう付き合ってくれた友人H
君への恩は山積してる気がするが一生忘れない……!
一杯目
梅酒……かな? の甘い感じと、なんか爽やかな柑橘系で美味しかったです。
二杯目
手前が「黒髪の乙女」奥が「学園祭事務局長」
黒髪の乙女は、グレナデンシロップが甘くて、ワインの感じはほんわり〜って感じ。確かにこれは黒髪の乙女っぽい感じがしますね。ラムは普段飲みつけてないのでちゃんと分からなかった。
学園祭事務局長は、「強い」の説明通りまさにショートカクテル! って感じでしたね。上から見ると透明なのに、横から見ると紫色が濃く出るのはめっちゃ彼のキャラクター性と合ってる気がする。
三杯目
手前が「先輩」奥が「樋口師匠」
先輩は「嘘だ! 先輩がこんなに爽やかなもんか!」って言いながら飲んでました。
なんかこの頃にはかなり酒入ってて記憶が……。ライムとジンがこう……めっちゃ爽やかだった……。
樋口師匠は、グラデーションが綺麗で、混ぜるととても綺麗な緑色。ジンジャーエールが甘い感じ。ところでなんで樋口師匠があって羽貫さんがないの? かなしみ。
(写真取りそこね。古本屋の神様)
わりとコーヒーの風味が分かって良かった。ほら、世の中にはもはやミルクじゃんみたいなカルーアミルクも存在するから……。
お気づきかもしれませんがこの時にはもうかなりやばかった。
あとついでに混み出してきてコースターは最後の精算でーと言われたのもある。
そこかしこから「李白ください」「先輩お願いします」みたいな声が聞こえてきた。コラボすげー。
ラスト
パンツ総番長
個人的には、これが一番大当たりだったかもしれない。
なんかねー、あまずっぱくておいしかった。青春みたいな味だった。
コラボ期間中ということもあり、あと元からたぶん若年層向けのお店なんでしょう。BARにしては若い人が沢山居て、盛況でした。(言うて私もそんなに色んなBARを知っているわけではない)
次はアカプルコやらキューバ・リバーやらピナコラーダやらを飲んでみたいものですね。なむなむ。
黒髪の乙女、いずこに行きたまいしや
先日『夜は短し歩けよ乙女』の映画版観に行きました。
その機に原作小説読み返して、劇場版特典冊子読んで、放送直前SPも観て、コラボしてるバーにも行ったので、そこら辺つらつら。
以下、映画のネタバレ、小説のネタバレ、賛否両論の感想を述べてゆきます。注意!
◯原作小説
いわゆる京大モノです。
実在の地名や、おそらく京大生にとってのあるある小ネタに溢れた小説。
万城目学の『鴨川ホルモー』や、瀧羽麻子の『左京区七夕通り東入ル』とかも京大モノとして私は読んでます。
『左京区〜』は京大モノなのか微妙ですが、個人的にめっちゃ好きな小説なので便乗して紹介します。
あとキャラクターがとても良い。
黒髪の乙女の、少しズレていながら真っ直ぐな可愛らしさ。
先輩の、拗らせた自意識と、だけど乙女にはがんばりたいと思っているいじらしさ。
東堂さん、羽貫さん、樋口さん、李白さん、古本屋の神様、事務局長、パンツ総番長、その他モリミーワールドと呼ばれるらしい、ちょっと浮世離れした世界観を構成する人々たち。
ピ●ゴラスイッチを思わせる、個性と行動が噛み合って起きるトンチンカンな、面白おかしい出来事。
でもって忘れてはならない、クドさにクドさを重ねて捻くれさせたような冗長な文体。
言い回しがもったいぶってて、特に先輩の視点の時には先輩の素直じゃなさとも相まってほんとに! 「こんな男子いそうってか私が男子だったらこんなんだろうなーうわーやめてくれー」ってなりますね。
好きです。
◯映画について
わくわくしながら、公開初日に行きました。
……。
原作と対比しながら観たので、こう、原作厨としては、思うところが多くありますね。
なんで一夜にしちゃったん?
放送直前SPにて「夜は短し〜なので、一晩にしてしまおうと」って発言がありましたが、一年のお話を一晩に押し込めてるので、かなりストーリーがめちゃめちゃになってる印象。
ナカメ作戦にしたって、あれは、春の夜歩き後の出会いや、また夏の古本市があってからのナカメ作戦があり、その積み重ねがあったから、功を奏して、劇の最後に抱きしめられた安心感とか、ドキッとか、そういうものがあったわけでしょう。
それが、事前にナカメ作戦を展開していたみたいなフリがあったとしても、彼女からの好感度の上がり方はなんかこう、違和感。
何せ先輩へのその晩初めての印象は、下半身丸出しで降ってくるような(おともだちパンチを食らっても致し方ない)変態さんだったわけで。
それへのフォローが無いまんま、その数時間後に、またしても(乙女からすれば突然)突然現れた先輩に抱きしめられても、逆効果ですよ。怖いって。
そもそもが、原作だとズボンやパンツ取られても、すぐ東堂さんが代わりをくれて、先輩の危機は脱されていたのに、何故長時間にわたるセクハラを受けねばならなかったのか。
『夜は短し〜』映画ぜんたいに、わりと先輩へのセクハラ酷くないですか。コーンアイスとか。
あと伏線の張り方っていうか、先輩の動機となる情報の出し方が雑い。原作がそれこそ複雑怪奇なパズルのように組み合わされて隠されて与えられていた情報が、映画だと(尺とかもあるのだろうけど)直前に事務局長とかがポイポイっと投げてハイおしまい。ほんま雑。
色々カットされるのは仕方ないけれど、(「古今和歌集だぞ!」「コキンワカシュウ? そんなの知らん!」とか観たかったな……)その割に追加されたシーンが謎。ていうか先輩の出番がゴリっと削られてません? 本が一本の糸で結べる〜のシーンとか、先輩の場面だったのに乙女のシーンに変えられてしまっていたし。
あれは、読書に無知な先輩が聞くから良いんだよう! 乙女はそこそこ本に造詣が深いわけで、本が繋がっているのだって、こう、ね!?
タイトルが「夜は短し歩けよ乙女」だから、乙女にフューチャーしたんですよ、と言われてしまえばそこまでだけど、そこまで! だけど! そこまでですね……。
書影がバラバラ流れていくシーンは楽しかった。こういうところの映像表現は好き。
個人的にツボだったのが原作で川原泉と告げられていたその書影が、『笑う大天使』
時代……! いやまぁ萩尾望都とか川原泉とか並んでるラインナップがもうそれなんですが、乙女の年頃的には……うーん、『〜がある』シリーズはやはり『笑う大天使』に知名度で劣るかなぁ。うーん。
(ナルニア物語とかの、有名児童文学はいつの時代だって読まれるものです。普通に重い外国語文学も同列で並んでいたことを思うと、乙女はかなりの読書家らしいですね。好き)
あ、追加シーンでも「ラ・タ・タ・タム屋」は良かった。逆さ箒立てる先輩かわいい。
あとはあれですね、時計。詭弁部OBさんの干支時計がめっちゃ可愛かった。
逆に改変だとパンツ総番長がこの……純愛やん? 原作だとめっちゃ純愛やん? それなのに、ただ頭に何かがぶつかればフォーリンラブしちゃうような軽い男になってしまった(特番で、森見さんの案だったけど小説ではカットされた思い付きを、映画版ではやってみました、と言ってはったけど、それだったらそれで、パンツ総番長の純愛へのフォローが欲しかった)のはちょっと……。
それはそれとして、歌う神谷浩史はうまかった。普段の事務局長の声と、女装男子の歌声との使い分け、さすが神谷浩史。
(黒子のバスケextra gameでは、俺司僕司覚醒司の三種の演じ分けをしてはります。観てください)
ロバート秋山さんの、「普段コントとかでキャラクターは演じますが、それは表情とか使える。けど今回は声だけだったので難しかった。声優って凄いですね」みたいなコメントで好感度あがった。(チョロ)
星野源の先輩も、聞いてて突っかかるところとか無く、凄い先輩っぽい先輩だったので安心しました。
花澤さんの乙女も、可愛かったですね……キャスティングはハマリ役だったと思います(上から目線)
樋口師匠と羽貫さんは、四畳半神話大系と同キャスティングらしく(夜は短し〜を観た時には四畳半神話大系未履修でした。その後特設サイトで観ました)
ズルいと言えばジョニーもですけどね! いやぶっちゃけ四畳半神話大系アニメ版未履修の人間からすれば最後の脳内会議のジョニーなんのこっちゃでしたけどね! 唐突に現れた謎のカウボーイ??? What's??? でも檜山さんだ??? えっめちゃめちゃ好きだけどどういうこと??? 今何が? 何が? 起きてるの??? 状態でした。最後のスタッフロールで
ジョニー 檜山修之
って出てきて「そうか。ところでジョニーって夜は短し〜に出てきたっけ? 優しくないぞ」の気分(確認したら、単行本版p237l1に「ジョニーを宥め」の記述を発見)(ジョニーお前出世したな……)
バーに行った話がわりと本命だったんですがなんかもう長くなったから一旦切ります。特典冊子は普通に読みましたし面白かったしリア充末永か爆発しろ! と思いました。
さいごに
「おともだちパンチ」の伝授者を姉から母にしてしまったのは何故?
昨日フラれました。
ありがとう世界。いま私の世界は輝いている。
何かと言えば、昨日私はフラれることができたんです。すごい。フラれるってことは、恋になる可能性があったってこと。可能性があったけど無くなったってこと。
私が後生大事に抱えていたこの感情は、種の入ってない植木鉢じゃなかった。死んだ種の入った植木鉢だったんだ。
すごい……。
(当記事は、あんさんぶるスターズ on stage! DVDの多少のネタバレと、あんさんぶるスターズ‼︎ スカウト ヒーローショウ のネタバレを含みます)
いきなりポエティックな内容からはじまりましたが、まぁだいたいこのブログがポエムポエムした内容なのでご容赦ください。
はじめからちゃんと説明します。
私は、あんさんぶるスターズというソーシャルゲームのファンです。プレイもしています。
私の推しは守沢千秋君三年生。真っ赤に燃えるいのちの太陽。流星レッドです。
彼のことを少しだけ説明します。
高校三年生にもなって特撮が好きで、暑っ苦しくて、お節介で、色恋沙汰に疎くて鈍くて、ちょっとそんな話題になっただけでも顔を赤くしちゃう。そんな彼のことを、私は大好きなんです。
そんな彼の、有名な台詞があります。
ここまできて、大事な前提をすっ飛ばしてきたことに気付きました。
あんスタは、乙女向けソシャゲアプリゲームです。ジャンル:乙女向けです。
乙女ゲーと聞けば、まぁ主人公がイケメンと(最終的には)くっ付いてエンドになる(※例外もある)ものを想定されると思います。少なくとも私はそう思っていました。
それを踏まえて、上記の「まぁ、お前は彼女じゃないけどな」をご覧ください。
この台詞は、別にルート選択を間違えたとか、そういうわけではありません。(そもそもあんスタにストーリールート分岐などない)
まっすぐストーリーを読んでいった結果、「お前は彼女じゃないけどな」と言われるわけです。
乙女ゲーとは?
この台詞に至るまでの説明をします。
守沢千秋君は、雨の中無茶をしたせいで風邪を引いてしまいます。そこをプロデューサー(プレーヤーの動かす主人公)が看病するわけです。
守沢千秋君は「ずっと看病してくれていたのか?」「ちょっと、嬉しいぞ。かわいい彼女にお弁当を作ってもらったり、看病してもらったりすることは、長年の夢だった」
と、プロデューサーに対して言います。フラグやん? これもうフラグやん? フラグ三千パーセント立ってるやん? 次に、主人公抱きしめるスチルが入る流れやん?
ところがどっこい。
これが来るんだよなぁ……。
そもそもね、アイドルとプロデューサーですから。恋愛しちゃいけないんですよ。そんな設定言われてないけど。むしろ口説きに来るやつもいるけど。まぁそいつは三月に、「アイドル活動に専念したいから身辺整理する」とか言って仲良くなった女の子みんな連絡先消しちゃうんですけどね。
さておき。
でもね、私が守沢千秋君のことを好きなのは、そこなんです。
守沢千秋君は、フラグをへし折って来る。だけど彼の台詞は、彼なりのジョークなわけです。
「まぁ、おまえは彼女じゃないけどな」は、彼なりの、ちょっと恋愛風に流れてしまった空気の変え方。
「俺と恋愛風になるのはまずいよな」みたいな(たぶんここまで深く彼の脳内で言語化されてはいないだろうけど)
守沢千秋君は、善意でもって上記の台詞を発してるんですよ。良い子なの。そこが好き。
というわけで私は守沢千秋君の夢女なわけですが。
夢女が何か分からない人はググってください。定義が色々ややこしいですが、当記事内では「キャラクターと、自分、あるいはその作品原作内に登場しないキャラクターとのストーリーを想像して楽しむ人間」のことを指します。
で。まぁ妄想するわけです。自分と、キャラクターとのふれあいを。
まぁ妄想力にも天井があって、私は守沢千秋君の彼女でね〜ウフフ〜アハハ〜みたいな幸せ妄想はできないんですけどね……。
バスケ部のマネージャーでね〜とか家が幼馴染でね〜とか弟の付き添いで見たヒーローショーで一目惚れしてね〜とか! そんな! しあわせな! 夢女には! なれない!
せいぜい「守沢千秋君のライブに行って目が合った錯覚に酔いしれながら終電二本前の電車に乗りたい」とか
「一度だけ行ったことのある守沢千秋君のライブを心の思い出に、少しだけ彼と目元が似てる男と付き合いたい」とか
「守沢千秋君の結婚ニュースを聞いて、一人ワンルームマンションで美味しくもない発泡酒を空けたい」とか。
そういう妄想を拗らせるしかできない……。(これは私個人の楽しみ方であり、他の夢女子/腐女子/プロデューサーに移入して彼とのカップリングを楽しむetc….その他の楽しみ方を否定するものではありません)
だけど、だけどね。
私と彼の間には二次元と三次元の隔てがあって。
どれだけ私が妄想を逞しくしようと、それが叶う時は無いのです。
どれだけ夢小説を読み漁っても、原作で「あーん」したり、ハグしてる守沢千秋君とプロデューサーを読んでも、そこに存在しているのは、守沢千秋君と夢主人公ちゃん、あるいはプロデューサーとの甘い話。
究極言ってしまえば「わたし」じゃないんです。
「わたし」じゃ取らないような選択をする。「わたし」とは違う性格設定の。「わたし」とは違う容姿をした子と、守沢千秋君の恋愛。
それはそれで美味しい。楽しい。近所の煩いおばちゃん目線で微笑ましい。だけど、そこに没入することはできない。
だから、「わたし」は、守沢千秋君にフラれることは、不可能なんです。だってそもそも、彼の世界と「わたし」の世界は違うのだから。
彼が語りかける「おまえ」は「わたし」じゃないんです。
けれど昨日。それがひっくり返りました。
あんさんぶるスターズ on stage
佐伯亮君演じる守沢千秋君は、格好良くて、あったかくて、お節介で、頼りになって、素敵な赤いヒーロー、守沢千秋君そのものだった。
千秋楽。最後の舞台挨拶。
流星隊の挨拶で涙ぐんでしまう佐伯亮君は、ほんとうに守沢千秋君みたいで。
私も感無量だった。
そこで、最後に佐伯亮君が、守沢千秋君が、言った台詞。
「まぁ、おまえらは彼女じゃないけどな!」
泣きながら、でもハッキリと、彼はそう言いました。
「おまえら」って。
「わたし」を含む集合を呼んで、「彼女じゃないけどな」って、そう言ったんです。
one of themとして、「わたし」は、その時、守沢千秋君と、同じ世界に、生きてた。
そしてね、「まぁ、おまえは彼女じゃないけどな」この台詞、メインストーリーじゃないんです。あんステのストーリーはメインストーリーを追うものなので、つまり、ステージの台詞じゃないの。
佐伯亮君が、守沢千秋君の台詞として、これを選んだ。
この「まぁ、おまえは彼女じゃないけどな」って、有名な台詞で、だから佐伯亮君はこれを選んだんだと思う。
そこには善意しかない。
ここの精神がほんとうに守沢千秋君そのもので。
私は、「わたし」として、守沢千秋君に、フラれることができた。フラれることのできる土俵で、私は生きてた。
ありがとう世界。
ありがとうあんさんぶるスターズ。
ありがとうあんさんぶるスターズ on stage
ありがとう守沢千秋君。
ありがとう佐伯亮君。
ありがとう。ありがとう。
2017/12/10.編集