7/30京都精華大学対談れぽ
7/30 京都精華大学にて開催された竹宮惠子×仲谷鳰対談 「マンガにおける恋愛の描き方-性の表現」の対談れぽです。
ほぼ自分用メモの清書。
一部思い込みなどによる誤情報が入っている可能性があります。
※これは8/8に自身のぷらいべったーに投稿したものを修正したものです。
***
Q=司会者
T=竹宮先生
N=仲谷先生
Q:影響を受けた作品を事前に四ジャンルあげていただいています。本日はそのうちから二つお話しください。
T:(スクリーンには、映画「戦争と平和」「「2001年宇宙の旅」「時計じかけのオレンジ」「野いちご」/小説「高慢と偏見」/漫画「西遊記」/詩「リルケ」「コクトー」「寺山修二」)
映画には、抽象的なものとそうでないものの落差がある。それを生かすための技法というか、表現を吸収できるのがいい映画。
小説は、言葉で表現するもの。漫画も言葉で表現する。
漫画の言葉は、フキダシの中に収められるものでなければならない。モノローグも、できるだけ短くしなければならない。
高慢と偏見のように、オーソドックスな、真っすぐそのまま伝わる言葉が良い。つい奇をてらうようなものに行きがちだが、ちゃんと説明できないとならない。
N:(スクリーンには、ゲーム「ドラゴンクエストシリーズ」「UNNDERTALE」/小説「星新一 ショートショート」/アニメ・漫画「攻殻機動隊」/バレエ「マシューボーン演出 白鳥の湖」)
ドラゴンクエストは、攻略本を読んでいた。ゲームの中では語られないけれどある設定がおもしろいと思った。漫画を読むようになったきっかけでもある。ドラゴンクエスト四コマ劇場を単行本買っている。
星新一のショートショートは、教科書に載っているものから知って、短編集を読んだ。
ショートショートというかたちなので、必要最低限にそぎ落とされている。短い中で、こういう伏線から、こういうオチになると考えながら読んでいた。
小さいころからお話をつくることを意識していた。その勉強にしていた。
また、短編集の中にはショートショートよりも長い、普通の短編くらいの長さのものもある。最低限のショートショートに、どのように肉付けしていくかを参考にした。
T:ゲームは少し触ってやめてしまった。時間がとてもかかるので。
ゲームは一方的に受け取るだけだと思って避けていた。少し触っただけなので、攻略本の存在なども知らなかった。(仲谷先生のように)新しい世代にとってはゲームは親しいもの。そこから何かを見つけ出せる。
Q:考えを表現に落とし込むのは?
T:かくということは、読むということをしないとかけない。さっきNも(星新一のショートショートなど)研究的に読んでいた。
自分の中にある証言したいものを「分かって」そのうえで誤差の無いように造形すること。それが作品の世界を作る。読み切りなどは、世界の一部を切り取っている。すべてを説明しきってしまわない。
「説明しているな」と読者が思うと醒める。読者がそれをくみ取ってくれるように考えながら描いている。
N:作者は説明したくなるが、説明すると(作者はやりやすいが)キャラクターが世界の説明をするのはおかしなこと。「誰に向かって話してるの?」ってなる。
キャラクターには、話させすぎない。作品を描いているうえで飛ばした部分を意識する。「誰をカメラに移すか」「誰が何を話しているか」を選択することによtって、作者の考えを伝えたい・
T:登場人物が多いと便利。主人公には(キャラクターの性格上)言えないセリフがある。
N:伝えたいけど、「こいつは言わない」ってときに使える。
T:迎合されるように書くのは楽。だけど迎合されるようにやってしまうと……読者を甘えさせてしまう? 自分が伝えたい大事な部分、軸は守る。今言えなかったら、言える「次の機会」を待つ。
N:一番言いたいとこを、全部言わない。
T:気づきをもたらすことが大事。
Q:なぜ漫画という媒体を選んだのか。
T:自分が若いとき、漫画は社会に認められていなかった。漫画は主食ではなく、おやつだと思われていた時代だった。そこの(おやつから主食になる)広がりに可能性を見出した。
自分の手元の、小さな世界を育てていく感覚があった。
N:漫画は主食である時代に生まれた。
小さなころに絵をほめられ、その延長として(違和感を覚えることなく)漫画家になった、
自分ひとりで作ることができるもの(アシスタントさんなどはもちろん居るが)自分でネームをかいて、コマを割って、これが描きたいからこういう話を描こう、またその逆に、こういう話が描きたいからこれを描こう、ができるから。
Q:なぜBL/GLなのか
T:(先生が話されている間のスライドには、風と木の詩の一部抜粋。スライドの初めにキーワードとして「時代背景」「少年同士の恋愛」「19世紀末フランス」の文字)
(時代背景について)時代の機運があった。年齢差、精査を超えた愛について考えられ始めた時代だった。
しかし少女漫画の世界は旧態依然のもの。女の子は恋をするもの。そこで『ジャブじゃだめだ。右アッパーをくらわせないと』と思った。
(少年同士の恋愛について)当時の少女漫画読者には、男女のベッドs-ンは生々しく、直視しづらいものだった。ベッドの上で手をつなぐことだけで、セックスシーンの暗喩になるなど。
だからこそ、少年同士はフェイクとして、少年同士だからこそ、見ることができるものになるだろうという思いがあった(少年同士の恋愛には、自分たちのことに重ならない。自分たちのことではないから)
社会の動きの即するのが、漫画家の役目だと思っている。
編集者の常識が、一番超えるべき壁だった。彼らは少女を聖域のように扱っていて「少女は少女らしく」とオジサンのイメージの押し付けがあった。それとの戦いだった。
(19世紀末のフランスについて)その時代を選んだ理由は、少年愛を展開できる時代を探した。
そうすると、一つ前の世紀末がそんなじだいだった。社交界でもオープンに少年愛があった。
人間愛の話をかいているので、産業革命前(あまり機構が発達しすぎていると雑味がでる)かつ、宗教による縛りが少しづつ破られる時代。
大戦前に終わるように逆算して時代を決定し、話を進めていった。
N:(先生が話されている間のスライドには、やがて君になるの一部抜粋。スライドの初めにキーワードとして「(写し損ないにより内容不明)」「(同写し損ないにより内容不明)」「GLのど真ん中」の文字)
あまり恋愛が得意ではなかった。恋愛をして、当然のようにその恋愛を中心にして展開する、そんな恋愛至上主義の物語に対して違和感があった。
その中で、受け入れられる物語がBL/GLだった。恋愛としてストンとする前に、「これは友情か? 恋情か?}と一ステップを踏む。前提が恋愛なのではなく、あえて「これは恋愛である」と恋愛を選ぶ考え。
(GLのど真ん中について)登場人物が恋愛を選ぶかどうかを選択する、というのがGLのど真ん中であり、それを告げるのがGL。
T:私が描いていた時代は、(同性同士の恋愛について)差別があることが前提だったが、(仲谷先生は)差別のない世界を描いている。それは、今の時代、今の世界を描いていること。
Q:恋愛の描き方
T:(キーワードとして、スライドに「女性の性の解放」「BL史での位置づけ」「竹宮先生にとってGLとは」の文字)
(女性の性の解放について)女性なのにそういうこと(性について)を言うのか? という自主規制があった。そこで「男ではない、少年」であれば、垣根を感じずに同調できるのではないか。と考えた。
少女読者に(比較的)ハードな性愛を受け入れやすくした。
(BL史での位置づけについて)風と木の詩はBLじゃないよね? と言われることもある。自分としては、今につながるはじまりを描いた自負がある。当時はショッキングなものとして扱われたが、それがここまで大きくなった。読者にとって、大事なものだったんだと思う。その最初の殻を割ったことがうれしい。
(GLとは、について)当時は、BLもGLも全く同じ価値だった。今も変わっていない。
(仲谷先生のGLについて)現代における、ありうるGLを丁寧に描きうつしているものという印象。
N:(キーワードとして「タブー意識とホモフォビア」「GL史での位置づけ」「仲谷先生にとってのGLとは」の文字)
(タブー意識とホモフォビアについて)(「作品中では、同性愛に対してのタブー意識はないように見えるが、どうか」と司会者)
現代の現実を描いているので、ホモフォビア、同性愛に対して嫌悪している人は一定数居るが、あえてそれは(画面に)写さないようにしている。
(GL史での位置づけについて)自分の作品は、王道と言われることもあり、特殊と言われることもある。自分としては、両方その通りだと思う。
「タブー」「秘密」の要素は、魅力である。
けれど、(この関係はイケナイことだから秘密にしなくちゃ、などは)作品としては楽しいが、現実ではあってほしくない。
なので、同性愛に対するタブー意識とは別の「禁止」の要素をいれた。例えば、やがて君になる、の中では、小糸さんの会長への愛などがそれにあたる。
王道を踏まえて、そういう新しいことをしている。
百合の文脈じゃない楽しみ方もありがたい。いや、百合は百合なんですがね。
(BLとは、について)BLだからどう、というのは無い。BL,GLはどちらも同じ。ただ、BLは作品数が多く、専門誌も多く、その分設定が凝っていて、うらやましいなと思うことはある。
Q:高校生の皆さんへメッセージ(京都精華大学オープンキャンパス内でのイベントの一部なので、受験生に向けたメッセージ)
T:大学で学ぶということについて
自分の技術について客観性の得られる機会。漫画家志望は引きこもりが多いので、自信過剰だったり、その逆になったりしがち。おなじ立場の人間がいることで、違う自負が生まれる。
どういうものをもって、社会生活をしていけばいいのか分かる。
N:私は(マンガ学部などではなく)人文学部の卒業生だが、やはり自分で作り出すうえで、「言語学」「ジェンダー論」「映画論」などの授業が役にたったし、モノの調べ方を学んだ。
漫画を描いていると、レポートを書いている気分になる。世の中の要素の中から、伝えたいものを切り取って伝えるので、実質レポートである。
T:院生の人で、レポートが書けないっていう人がいるが、漫画と同じ。制作でこれまで書いてきてるでしょって
N:ですよね。ほんとうにレポート書いてる。
~~質疑応答~~
(質問のいくつかは省略しています)
Q:(仲谷先生へ)なぜ人文学部を志望したのですか
N:入試日程の都合などもあったが、作画よりも間接的なものを学ぼうとした。机に向かう勉強をしておかないと、後からそういうものをする機会はないと思った。
Q:連載では、どの段階でどのように構成しているか
T:世界全体を描くのにどれくらいかかるか、を考えている。どこまでを説明すれば「次」を期待されるのか。そう考えて一作を毎回作っていく。すべて描き切ってしまえば終わりなので。
N:連載一作目なので語るのは難しいが、「エンディング」が決めてあって、その前にこう変化して、こう変化して、という「ポイント」を設定してある。
また担当者から言われて、単行本一本で大きな山場が越えるような構成にしてある。
それとは別に、一話一話読み切りで読めるように書いている。
Q:BL.GLでなにか読んで面白かった、おすすめはありますか
T:この対談のために何作か読んだ。GLかはわからないけれど「まんがの作り方」は面白かった。
N:BLは最近ぱっと思いつかないけれど、GLだと「たとえ届かぬ糸だとしても」「あの娘にキスと白百合を」
T:GLっていうのかわからないわよね
N:どれを百合にするか、今の(あげた二作品)も、百合っていうかは論争が起きるかと思います。
T:あと「推しが武道館いってくれたら死ぬ」も面白かった。
N:平尾アウリ先生ですね、面白いですよね。これもGLっていうより、平尾先生の作品って感じですけど。
Q:キャラクターが勝手に動き出すことはありますか。
T:勝手に動くことが当たり前というか、キャラクターに聞きながら作っている。彼らが勝手に動く中で、(自分の写したいものを)切り取って描いている
N:勝手に動き出すことはない。逆に、話の都合上「こう動いてほしい」があるのに、キャラクターに聞いてみたら、動きたくない、と動いてくれないことがあって、そういう「動いてくれなくて困る」がある。
Q:魅力的な敵役をつくるコツはありますか。
T:作品として悪いものにはしたくないので、敵役にも生活があることを、世界として用意する。
(敵役は)主人公とかかわろうとする人間なので。主人公を好きでなかったら、関わろうとしない。だから場面が違ったら、彼らが助けてくれるような展開があるかもしれない。
Q:(風と木の詩、やがて君になる、の)企画について、どのようにアピールして連載が決まりましたか。
T:強引に推した。
当時編集者は少女漫画の柱となる作家の役目を(自分に)求めていたが、横道にそれた。自分の描きたいものを描いて一番でなければ意味がない。
N:ネットで書いていたら、今の編集さんに声をかけてもらった。
T:時代が違うのを感じる。
N:竹宮先生たちが切り開いてくれたおかげです。
Q:恋愛を描く機微、表現するコツは?
N:使えるものは全部使う。たとえば(スライドには、二巻の飛び石のシーン)ここでは、飛び石を使って距離を表現したり、光を浴びてるキャラクターと、影に入ってるキャラクターなど、対比したり。とにかく、毎度使えるものは全部使ってます。
T:嵐、崖、自然などで暗喩をよくしてきた。(仲谷先生のは)現代だから、そう簡単にファンタジー要素使えなくて大変そう。
「恋愛って戦いじゃないですか」個性の戦い。
通じ合わないのが大事。
N:通じ合ったら(お話は)そこで終わりですもんね。
T:雑誌の企画で、ドラえもんの「ウラオモテックス」という道具を使ったらどうなるか、みたいなギャグを描いたことがある。
事件が起こる前にみんな気持ちがわかっちゃって「お話にならないよ!」」というオチ。
越えられない壁が相手にあるんだ、それが大事。